新しい服を手に入れても、すぐに、次の流行が気になってしまう。
キャリアで一つ上のステージに立てても、すぐに、さらに上へと、心が駆り立てられる。
SNSを開けば、自分には「ない」ものを持つ、誰かの人生が、きらびやかに映る。
私たちは、常に「もっと」を求める、終わりのないレースを、生きているのかもしれません。
しかし、そのレースの先に、本当に、心からの平穏や、持続的な幸福はあるのでしょうか。
二千年以上も昔、古代中国の賢人、老子は、こう書き残しています。 「足るを知る者は、富む」と。
これは、諦めや、向上心の欠如を説く言葉ではありません。
真の豊かさとは、所有物の多さではなく、心のあり方によって決まる、という、時代を超えた、普遍的な真理なのです。
なぜ、私たちの心は、渇き続けるのか
常に「足りない」と感じ、何かを求め続ける心の渇き。
その多くは、絶えず、他者と自分を比較してしまう、現代社会の構造から生まれています。
私たちは、日々、無数の広告や情報によって、「これがあれば、あなたはもっと幸せになれる」というメッセージを浴び続けています。
その結果、私たちは、自分の「内」にあるものに目を向けるのではなく、常に「外」にある、自分が「持っていないもの」を探し、自分の価値を、そこに見出そうとしてしまうのです。
この状態は、例えるなら、穴の空いた器で、水を汲み続けるようなもの。
いくら新しい水を注ぎ込んでも、心は、決して満たされることはありません。
「足るを知る」という、心の筋力トレーニング
「足るを知る」とは、この心の渇きから、自らを解放するための、積極的で、知的な心の習慣です。 それは、人生に対する、フォーカスを切り替える、ということ。
「ない」ものを数えるのをやめ、「ある」ものを、一つひとつ、丁寧に数え直してみる。
- 今日、健やかに目覚められたこと。
- 「美味しい」と感じられる、一杯のお茶があること。
- 「おかえり」と言ってくれる、家族がいること。
- 静かに、本を読める時間があること。
こうした、当たり前すぎて、見過ごしてしまいがちな、日常の中に散りばめられた、無数の「すでに、ある」豊かさに、意識的に、光を当てていく。
この習慣は、まるで、心の筋力トレーニングのようです。続ければ続けるほど、あなたの幸福感は、外部の状況に左右されない、内側から湧き出る、しなやかで、力強いものへと、変わっていくでしょう。
すべてを「手放した」時に、残るもの
とはいえ、情報と欲望の洪水の中で、この「足るを知る」という、静かな心の状態を、自力で保ち続けるのは、容易ではありません。
『みずは』の空間は、あなたを、この心のトレーニングの、最も深いレベルへと誘います。
カプセルの中に横たわるとき、あなたは、社会的地位、役割、所有物といった、あなたが「持っている」と信じている、すべてのものを、一度、手放すことになります。
あらゆる「もっと」という声が、そこには、存在しません。
その、究極の「引き算」の先で、あなたが向き合うのは、ただ、呼吸をし、存在している、あなた自身。 そして、その時、深い安らぎと共に、静かな気づきが、訪れるかもしれません。
「ああ、私は、何も持っていなくても、ただ、こうして在るだけで、満たされていたのだ」と。
それは、頭で理解するのではなく、全身の細胞で、体感する「足るを知る」という感覚。 あらゆる渇きが癒され、心が、本来の平穏で満たされる、「ゼロ地点」への帰還です。
幸福は、何かを追い求めて、その先に、見つかるものではないのかもしれません。 それは、立ち止まり、深く、呼吸をした時に、「すでに、ここにあった」と、気づくもの。
足るを知る、という、最も豊かな心の平穏が、あなたと共にありますように。